ヤク切れならぬ 音切れ

(やばい!BUCK TICKに往きそうだよ、誰か止めろよ)

その一曲の為にCDを買ってしまったりとか
その一曲を見つける為に3〜4枚レンタルしてしまったりとか

んで見つけた曲や手に入れた曲は
徹底的に聴き倒す 押し倒す やりまくる(え″っ?)
当然飽きるわな そりゃ・・・。
だから何年も蔵にしまっておいて 音的ヴィンテージもんにするのだけど。

蔵出しして再聴してみれば、埃を払う気にもなれないものになってしまっている。
当時はこれでもかってくらい思い入れの強い曲だったのに。

悪いのは私です。あんな押し倒して てってーてきにっ・・・違う
今、自分の置かれている状況とか
その曲以後の経験だったりとかによって
ダイヤモンドだったはずの宝物は
はただのガラス玉になってしまった。

懐かしくてつい手を出した(CDを持ってなかったので)
PSY・S とか 高橋幸宏「薔薇色の明日」とか
沢田研二(なぜっ)とか・・・
蔵出ししちゃ、いけなかったのかな・・・。

音楽ってそれを聴いていた過去へ飛ばしてくれるけど
感動の再現、再生は50%にも満たないのが私の現実。

私にとっての新しい音≠今の音(2005年の今)
私が未聴の音、曲ってことになるんだね。
だから、今年早々、いまさらって感じではまり、
聴き倒し、押し倒し やりまくって(いい加減にしなさいっ)
もとい、
聴き倒している彼らの曲、彼の曲は新しいのだ
10年前の曲でもね・・・
今はね・・・

これらもいつか蔵の中で埃をかぶるのかな

実家にはホンマモンの蔵があります。
今夏は秘蔵書を助け出してやらニャいかん
山田章博は無事だろうか・・・。